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1月の幼稚園だより


									
ある日のお外遊びの時間、縄跳びに初めて挑戦するお友だちがいました。
縄跳びの片方を木の幹に縛りつけ、もう片方を持って回してあげます。
“Ready, set, go!”のかけ声で縄が自分の上に上がったかと思うとあっという間に下がって来る様子にあっけにとられ、足がすくんでしまいました。
まるで、「え? こんな縄をどうやって跳ぶんだ?」とでも言いたげな顔です。 
“Let’s try one more time!” と励ますと、次は、タイミングは遅いもののぴょこんと一跳びできました。
一旦、列の後ろに並び直し、他の子が跳ぶ様子を見て、自分の番が来たら再び挑戦していました。
その後、何度も繰り返し、挑戦しているうちに、少しずつコツをつかみ、初めて一回跳べた瞬間、 「え!? 跳べた!?」という、驚きと喜びが混ざった、とっても素敵な表情が浮かんだのです。
 “Good job! Supper good job!” と一緒に大喜びしました。
 
ふと見ると、昨年、Butterflyさんにまじって跳び始めていたCocoonさんが今年は自分がButterflyさんになり、一年前よりはるかに多い回数を、軽々と跳べるようになっています。
体が成長したのは言うまでもありませんが、外側からは見えない精神面の成長も感じられる跳びっぷりです。
跳べるだけではありません。
きちんと一列に並んで順番を待つ事も、守れるようになっています。
そして、楽しそうに跳ぶ彼らを憧れの目で見つめるCocoonさんとCaterpillarさん。
このようなひと時に、彼らの胸の中で「ぼくも/わたしも跳んでみたい!」という思いのエンジンがかかりはじめているのです。
そんな、内側で静かにかかるエンジンこそが私たちKCKのスタッフが大切に育てていきたい、好奇心や行動力、そして想像力につながるものに思えてなりません。
 
もうすぐ、2024年がやって来ます。
新たな一年も子どもたちと過ごす時間の中で、彼らの内側から少しでも多くの「やってみたい!」「知りたい!」という思いが湧き起こるよう、日々接して参りたいと思っております。
Have a wonderful holidays!

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2月の幼稚園だより


									
Winter Holidayが終わった最初の登園日。
“Good morning, Erish! I go to Disney Land!” “Oh, you WENT to Disney Land? Nice!”
“Erish, I eat mochi!” “Oh, you ATE RICE CAKES?” “Yes, rice cakes. I eat a lot!” 
教室に入るとお休み中、自分が何をしたか、どこに行ったか、口々に教えてくれる子どもたちの姿がありました。
彼らの英語は、現在形や過去形、日本語、英語、何もかもがごちゃごちゃと混ざっていて、「正しい英語」というわけではありません。
でも、「伝えたい!」という気持ちが抑えられず、次々と口から出てきます。
先生は伝わってきた情報を頼りに、英語をさりげなく訂正しつつ最高の笑顔でその思い全てを受け止めてくれます。
中には先生が訂正してくれた言葉をリピートする子もいますが、ほとんどの子どもたちはその流れの中でおしゃべりを続けます。
 
人とつながる時に一生懸命自分で知っている言葉を使って説明する、あるいは不完全な自分をそのまま公に出せる大胆さは子どもたちがこの先の人生を生きていく上で、大切なスピリットであるに違いありません。
そのスピリットはいかにして育まれるか?
人間は赤ちゃんや幼児であろうと、大人であろうと、自分の話を聞いてくれる相手が、必ず自分の言葉をしっかり受け止めてくれる、そして「愛」のある言葉を返してくれると信じられる時、信頼関係が生まれます。
そのゆるぎない信頼関係の中に身をおける事で、自分自身を信じる気持ちと世の中を信じる気持ち両方が育まれていきます。
だからこそ相手と繋がりたい。繋がるためには「How(どのように体裁を整えるか)」ではなく、「What(何を言いたいか、したいか)」に安心して集中できるようになるのではないでしょうか。
春から夏、秋、そして冬、長い時間を共に過ごし、わくわくドキドキを一緒に体験してきた中で育まれた信頼関係が、今、確かにあることを感じます。こんなに嬉しいことはありません。

12月の幼稚園だより


									
秋休み明けのCocoonクラスでの事です。
その日はjournal notebookに秋休みの思い出を書くアクティビティに取り組んでいました。
ふと見ると、タイトルの“Autumn Break”を書く途中で筆が止まってしまっている子がいました。
どうやら、“Autu”までは一人で書けたのですが、タイトルのスペースに収まらなくなってしまった様子。
困った様子の彼女に“Do you need help?”と声をかけると、“Yes!”と明るい笑顔でお返事をくれました。
周りの余白を使うと収まりそうでしたので、“Look. We have more space here. Don’t worry. I can help you writing.(ほら、ここにもスペースあるし、サポートするから大丈夫だよ!)”と言い、彼女の手に私の手を添えてタイトルの残りを書き終えました。
その後、彼女は家族と一緒に釣りに行った絵を楽しそうに描き始めました。
まさに水を得た魚のような勢いで、ぐいぐいと鉛筆で描き進めていきます。
そして“This is my Daddy. This is fish. Fish, fish, fish!(これがパパ。これが魚。これも、これも、これも、魚、魚、魚!)” 
絵を書き終え、文字を書く段になって、彼女は“I want to write ‘Fish’! How do I write’Fish’?(魚って書きたい。「魚」ってどうやって書くの?)”と満面の笑みで聞いてきます。
私がメモ用紙に綴りを書いてあげると、一文字一文字、丁寧に書き上げ、その右横にもう一尾、魚を描き添えていました。
彼女がこんなに喜んで描き、文字を綴るのを始めて見ました。
更に驚いたことに、彼女の隣に座っていたお友だちが、“How do I write ‘cloud’? “How do I write ‘sunny’?” “ How do I write ‘car’?” と次々に自分が綴りたい単語を聞いてきたのです。
「書きたい!」と思う気持ちが子どもたちの中で渦巻き、それがエンジンとなって文字が綴られる空間は、なんとも言えない素敵な空気が満ちていました。
4月には考えられなかった成長を感じたうれしいひと時でした。
KCKでの生活の中で「お友達と一緒に楽しんで書き(描き)、書く(描く)ことの喜びを感じる」体験を積み重ねていく事によって、自分を表現する術を身につけていってもらいたいと願わずにいられません。

11月の幼稚園だより


									
小学一年生で漢字を習った時、「『人』という字は人と人が支え合っている様子を表している」と聞いたのを覚えています。
人は一人では生きていけない、お互いに関わりを持ちながら生きる生命だということです。
人と人が関わりを持つ時、言葉はその基本となるものだと考えます。 
 
KCKに通う子どもたちは、言葉が出る前、言葉が出始める、そして言葉を使いこなすようになる、そんな段階にある、と言えるでしょう。
Caterpillarクラスでは、言葉より行動で気持ちを表現する子も少なくありません。
Cocoon、Butterflyクラスと年齢が上がっていくうちに、英語、または日本語で自分の内面を表現できるようになっていきます。
お返事一つにしても、先生が質問することに、首を縦に振ったり、横に振ったり、傾けたりしているだけの状態から、 “Yes.” “No.” “I don’t know.”などと、言葉で表現できるようになっていきます。
 
先日、Cocoonさんのお友だちとお話していました。
というより、気がついたら、私が一方的に言葉をかけ、そのお友だちは目もあわせず、じっと聞き、うなずいたり、首を左右に振るだけの状態でした。
それもそのはず。
その子が怒られているシーンだったからです。
何を聞いても黙ったまま。
まるでこちらが根を上げるのを待っているかにようにも感じるほどでした。
日本語でも英語でも同じリアクションです。
私は、ふと、「今日は朝ごはん食べてきたの? Did you eat breakfast today?」と聞きました。
こくりとうなずいたその子に、「YesそれともNo?」と聞くと、かすれた声で “Yes”とお返事してくれました。
”Thank you! I’m so glad to hear your voice. What did you eat for breakfast?(ありがとう! 声を聞かせてくれて嬉しいなあ。朝ごはんは何を食べたの?)”と続いて聞きました。
この質問には、ちょっとハードルが高く感じたのか、首を傾げて黙ってしまったので、 “Did you eat bread? Did you eat rice? Did you eat UDON? Did you eat ice cream? Did you eat popcorn?(パン食べたの? ご飯? うどん? アイスクリーム? ポップコーン?)」などと聞いていきました。
一つひとつに明確なお返事がないので、もう一度 “Yes, or No?”と聞いて同じ質問をゆっくりと繰り返します。
アイスクリームやポップコーンあたりになると、声のかすれもとれ、はっきりと “No”というようになっていました。
しばらくそんな調子で本題とは違う話題で問いかけをし、言葉でお返事をしてもらった後、本題に戻ると、言葉少なではありますが、自分がやってしまった過ちを語ってくれました。
私は「あー、そういうことか。ありがとうね。言葉で教えてくれて嬉しいよ。教えてくれてとっても助かった」と身体中をゴシゴシしながら伝えました。
 
同じお友だちが、次の日も私と一対一でお話しする場面がありました。
その日も同じように首の振り方で返事をしようとしましたが、前日より早く、本人が言葉で話そうとつとめはじめました。
そして、その次の日の朝、私は目を疑いました。その子の表情が2、3倍明るいのです。
いつも伏し目がちだったのが、真っ直ぐに私の目を見て、 “Good morning!”と言いながら笑っているのです。
 
言葉を用いて他者と繋がることを覚えると、人はこんなにも喜びを感じ、前向きに生きられるんだ、と教えられた3日間でした。
親子や家族間だと、お互いに察することができてしまうため、指差しや眼差しなど言葉を使わないコミュニケーションで済ませてしまうことも多くあります。
でも、少し丁寧に言葉で関わりを持つように促すると、子どもたちが変わってくるはずです。
日本語でも英語でも「言葉」を使うよう、明るく励まし、そしてたくさん褒めてあげてあげて下さい。
きっと今までとは違う成長を見せてくれるはずです。
 「人」として生きるために必要不可欠な「言葉」を使ったコミュニケーション能力を、ご家庭でも園生活でも大切にし、一緒に育んでいきましょう。

10月の幼稚園だより


									
 KCKのSports Dayのねらいは、体を動かす喜びを目一杯体験すること。
舞台は、里山を再現した、KCKの園庭です。
初めてご参加される保護者の皆さまからは、「え?真ん中に山が二つもあるけど、どこでやるんですか?」という質問を受けることがあります。
「ここです。園庭全部を使います。お祭りみたいで楽しいですよ」とお返事します。
 
日本でイメージされる運動会は、平坦な園庭に作られたトラックの周り、あるいはその内側で競技をし、その外側から家族が応援するのが一般的なものでしょう。
KCKのSports Dayは、そんな常識に縛られません。
かけっこや親子競技など、直線コースが必要なものは、山の間の長い直線を利用します。
ButterflyさんとCocoonさんが参加するリレーのコースは両方の山を利用したしずく型の2コースで行われます。
そして、ダンスは山の間の短い直線が舞台となります。
 
競技会場が変化するときに、応援のご家族の皆さまにご移動をお願いします。
すると、皆さん足元に気をつけつつ、移動してくださいます。
日本の一般的な運動会のようにゴザやイスに座って観客席から応援している場合ではありません。
「これからはじまる競技のために、みんなで場所をあけよう」「次の出番の子どもたちのご家族が観やすいように最前列を譲ろう」と率先して移動、あるいは譲り合って下さる保護者の皆さまの優しさと温かさが本当に素敵です。
保護者の皆様がおおらかな気持ちで楽しんで下さるからこそ、KCKの子どもたちはSports Dayを思う存分楽しむ事ができるのだと思います。
 
コロナ禍で、開催体制を工夫した年が続きましたが、今年は、全クラス同時開催体制に戻ります。
今回は初めて6クラスの保護者の皆さまを同時にお招きする予定です。
当日、子どもたちと最高に楽しめる一日になるよう、スタッフが一丸となって愛をこめて準備中です。
お天気に恵まれますように。

9月の幼稚園だより


									
幼い頃、祖父のあぐらの中にすっぽりとはまり、聞かせてもらった、ある戦争体験の話があります。
祖父は陸軍に入隊し中国に渡り、
「ヘルメット被って、重たいリュック背負って、鉄砲持っていっぱいいっぱい歩いた。
そん頃の戦争は呑気なもんで、昼休みってのがあってな、その時間はにぎりめし喰ったり昼寝をしたりするもんで、敵も味方も鉄砲や大砲を撃つもんじゃないって決まりがあった。
ある日の昼休みに、にぎりめし喰おうと思って、草むらにどっこいしょって腰掛けて、ヘルメットを外した。
けど、何かあったら命が危ないと思って、念のため、ちょこんと、いい加減に頭の前のほうにのせた。
いい加減にな。
で、にぎりめしにガブリとかぶりついたちょうどその時、鉄砲の弾がズドンッ。じいちゃんのこの額に飛んできた。
だから、じいちゃんの額のここん所、凹んでんだぞ」
祖父は、そのくぼみに私の指先をやり、触らせてくれました。
そして、こう付け足すのでした。
「いいか? いい加減って、チャランポランとは違う。ちょうど良い加減っていう意味なんだ。
良い加減に被ったヘルメットは弾の勢いを受けてくれた。
だから頭に弾が直接ズドンって当たらなかった。
お寺の鐘みたいなもんだ。あの時じいちゃんがヘルメットをきちんと被っていたら、弾がヘルメットを突き破ってあの世行きだったかもしれん。
もし、被ってなければ絶対生きてないし、こんなふうにお前の母ちゃんが生まれることも、お前が生まれる事もなかった。
自分の命は自分で守るんだ。良い加減を知るのが大事。良い加減に生きるんだぞ」
大人になった今でも、「いい加減」という言葉を聞くたびに祖父のこの話と、懐かしい温かさを思い出さずにはいられません。
と同時に、「戦争は人間を狂わせるから、絶対にしてはならん」と言っていた祖父の目を思い出します。
 
2023年、夏。
私たちが生活する中で、おにぎりを食べようとする時に、弾が飛んでくる危険はありません。
戦場ではないからです。なんという幸いでしょう。
では、今、戦場ではないこの国は、本当の意味の平和を手に入れたのでしょうか? そもそも平和とは何? 戦争って何? 
このような問いは、人間の生き方、考え方の根本的な部分につながるものです。
8月には広島、長崎の日、そして終戦記念日があり、戦争をテーマとした報道が新聞やテレビで取り上げられます。
ご家庭でも是非子どもたちと話し合ってみてください。
幼い彼らの目線に立って一緒に話す事によって、私たち大人が教えられることも少なくないはずです。
このテーマに大人が背を向けることなく、子どもたちとちょうど「良い加減に」対話することこそ、「平和をつくる人」を育てる第一歩なのではないでしょうか?

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